「QWERTYキーボードを使いこなす」という階級差別

QWERTYキーマップは、単に効率が悪いという話にとどまらない。
QWERTYキーマップは健康を害するのである。

(業界のファシスティックな既成事実のせいで)普及率は上がっていないものの、NICOLA(旧・親指シフト)は言語特有のキーマップ及び入力法として根強い支持があるし、全世界的にはDvorakキーマップという合理的なものが昔から在る。

NICOLAは合理的なものの習熟に苦労するが、DvorakはQWERTYより容易だ。なぜならば、母音の位置が合理的だからで、一本指で押す人にでさえも効率的だ。

「QWERTYキーマップでタッチタイピングが行える」という特殊で(本当は)不毛な技能が、一種の資格のように扱われていて就職に有利になったり、「タッチタイピングができる自慢」もする者があったりする。これは一種の階級差別だ。


ところで私は、Emacsも時々しか用いないが、Vimは避けている。なぜならば、viは特定のキーボードのために創られたエディタだからだ。viは、矢印キーの不存在やQWERTYキーマップが前提で創られた。

本来はこのような事態があってはおかしい。なぜならば、都合が悪ければキーボードの方を替えるべきだから、である。

ハードウェアを替えられないからソフトウェアで無理やり対応するといういささか奴隷的な隷従は、プロプライエタリともどこか共通している。

「Vim使っている自慢」も世界各地で見られる光景だが、貴方がVim好きなのはまだ構わないが、「Vimを使いこなしている自慢」は階級差別である。これは、フリーソフトウェア思想とは真っ向から反する

Emacsも、習熟までが遠すぎるために一種の階級が産まれてしまっている。このこともやはり良くはないことだ。EmacsLispを書くという能力も一種の特殊技能だし、CLI上でEmacsであらゆることがやれるというのも特殊技能だろう。「CLIでなんでもやれる俺って凄いだろ」という自慢はおかしい

GNU nano や Gedit があるのは正常なことだと思う。それに比べれば、いきなりminimalのviがデフォルトエディタになっている場合の、初心者の混乱は、経験したことがある人は多い。Emacsでさえ苛酷だろう。

例えば一昔前の「sendmail.cfが解る俺ってスゲーだろ」的な自慢がおかしいのと同じだ。sendmail.cfという訳の解らんものが読めたり書けたりする方がおかしいし、潰しの利かないナンセンスな技能だ。

まあとにかく、VimがQWERTYキーマップ前提であることに耐えられない。


日本語Windowsとか、死ぬほど有り得ない。notepad.exeはまだいい(だがあれだ、Windows3.0Aみたいな風情で、支障はあるわな)。

だが、少なくとも私の手元に在るWindows 7までは、日本語のDvorakキーマップが無い。だから、DvorakJとか何らかの常駐ソフトウェアで無理やり解決している人も多い。

親方Windowsも酷いが、マイクロソフトの日本法人がもっと酷いのだろう。English(US)のキーマップならいろいろ入っているのだ。

当然のこと、片手打ちの人も、一本指の人も居り、それが普通だ。したがって、Dvorakや、片手打ち用Dvorakが入っていて当然で、無いのは所謂「人権侵害」に相当するだろう。また、プログラマにとってはProgrammer Dvorakが(いくつかのプログラミング言語で)快適なのに、そういう職業の人のことを想っていないわけである。


そしてみるに、そもそもQWERTYが横行している現状もまた「人権侵害」なのである。言うまでもないことだと思うが。

 

 

 

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