不必要な記録まで受けないと生きられないという恐ろしい社会

金儲けのため、食い扶持のため、そして、「もしものことがあったときのため」という恐怖心によって、今の日本社会を含め、インターネット上では全世界的にも、不必要な記録が行われている。

「必要だ」と開き直る事業者はたくさんあるだろうけれども、サービスに必要なのか? あるいはまた、記録しないと問責されるのか? そうでもなければ、不必要なのである。

その事業者のシェアが大きかったり、そのサービスが生きるために必要不可欠であったりするほど、深刻である。

例えばWindowsの更新にシステム情報を送信させられるというのもそうだ。必要な範囲かどうかも、何を送信しているかよく判らないので、こっちには判らない。

オープンソース・ソフトウェアでもそういうものがある。FirefoxにしてもUbuntuにしてもエラーリポートを収集している。禁止しうるとしても、デフォルトで送信するのであれば、ユーザが与り知らぬうちには送信されている。

「個人を特定できる情報」等という概念を切り出す人は数えきれない。しかしそれ以前に、そのデータはそもそも当人の所有にかかるものであり、勝手に収集したり、不必要に収集されなければサービス利用が不可能であったりするのは、根本的に間違えているわけだ。

それこそ、アクセスログの記録でさえも、どこまでが必要なのか問わねばならない。リモートアドレスやログインIDはむしろ記録せねばならない、これは事業者側の責任にかかる。他方で、ブラウザ(HTTP UA)が何かだとか、画面解像度がどうかとか、それは、記録してはならないのだ。

同じように、広告を流すために cookie を保存させたり、アクセス分析のために余計なスクリプトを動かしたり記録したりするのも、やってはならないことなのだ。(それなのに、もはや既成事実化して、しれっと行われている)

端的に言えば、例えば「ビッグデータ」等と言って浮かれているのは、恥ずかしいことだ。


 

所謂「リアル」でもそうだ。コンビニや家電量販店などで買い物を行う際にもそうだし、医者にかかるのもそうだ。

鉄道を利用したり航空機に乗ったり、電力の供給を受けたり、そういった必要不可欠であろう事例ではますます深刻である。

また、買い物や、さらには公道歩いている時までも、カメラで撮影されている。日本社会は、撮影され記録されないと、生きていけなくなってしまっている。選択肢は無い。

これは、店員に顔や、ときには氏名を知られるということとは同じではない。記録に残されると、不特定多数の者に知られる可能性がある、また、店員の記憶と固定的記録とでは、全く異なる。


 

公権力がかかわると一般に、比較的にセンシティブに認識されるマターだ。例えば武雄市の図書館とTポイントカードの件もそうだ。図書館の貸出記録は、記録が必要な範囲と期間があるだろう。不必要な記録までせれねば利用不可だとなると、公共図書館が利用不可能になる。

それが私企業となったとたんに意識がぬるくなり、「そんなのジユーじゃん」という扱いになりがちだ。

だが、記録をされないとサービスが利用不能であり、それでは生きていけないという状態になってしまっている。

たとえ私企業であろうが、例えばその地域にコンビニが1店舗しかないだとかいうこともある。

それどころかそもそも、コンビニFC大手は数えられるくらいにしか無い。同じように、鉄道事業者だろうが宅配便だろうが、電力や電話だろうが、選択肢は限られている。Suicaの利用記録とその転売だとか、ポイントカードをつくらないと損をするとだとかいうのも、本質的に狂っているのである。議論する余地など無く勿論の話であるはずなのだ。ましてや、公道を歩いていてカメラで顔を撮影され行動を算出される「実証実験」など、問題外の罪悪である。

インターネット通販にしても、大手は数えるくらいしか無く、そしてその大手だけでシェアの大部分を占めている。Amazonや楽天やヤフーだとかで大きなシェアが占められている。

こういうのは、「プライバシーポリシーを策定している」だとか「オプトイン方式だから構わない」だとかいう次元の問題ではなく、それ以前の話だ。

つまり、事業者(大資本)対消費者という構図が完成している社会においては、選択肢無くして強制されるがゆえに、所謂「人権問題」になるのである。これはここ数年のマターではなく、昭和後期には既に進行していたといえるだろう。

例えばプロプライエタリとフリーソフトウェアという話も、こうした、事業者対消費者、選択肢の無い強制というコンテクストの一例であろう。

社会人だ、大人だというのならば、こうした感覚をもちあわせねばならない。

ところが殆どの人は、こうした当然のマインドすらをももちあわせず、「個人を特定できる」などという点に矮小化しているところが、痛々しく恥ずかしい。

 

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